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2012年7月の3件の記事

2012年7月 7日 (土)

新しい働き方の「塊」を生み出す

ほとんどの企業の働き方は、この20年、基本的に変わっていません。

1. 組織人ワークスタイル

メールとPCが仕事の中心になったものの、社員の管理や意思決定のプロセスは、紙と電話で仕事をしていたときと変わりません。朝は会社に出勤し、窓際に座る上司に報告・連絡・相談し、いつもの食堂でご飯を食べて、午後になるとお得意先のオフィスに訪問します。会社に戻ると、外出中に入った電話のメモがあります。やおらPCを立ち上げて、メールと事務処理をします。

チームメンバーと打合せをしようとして日程をすりあわせようとしても、皆の日程がなかなか合わず、ミーティングは翌週になってしまいます。メールを出しても、なかなか返信はありません。

2. 自由人ワークスタイル

誰もが知っているとおり、スマートフォンとPCがあれば、会社もオフィスも食堂も要りません。

朝7時、食事が終わるとすぐに、音楽を聴きながらメールです。今日中に動いてほしいプロジェクトメンバーへの連絡、顧客へのアポイント確認など、たくさんのメールを出します。他人を動かすメールは、9時より前に出しておきます。一通りメールが終わると、10時に渋谷のコワーキングでプロジェクトメンバーと打合せです。1ヶ月後のイベントに向けてのアイデア出しで、その場でパソコンを開いて、イベントの設計をしてしまいます。ランチは、広告代理店とのビジネスミーティングです。ミーティングが終わるとスマートフォンで、提案中の顧客からの連絡に即座に返信、来週の役員提案の日程と概要が決まります。

だいたいこのあたりで、組織人ワークスタイルの人が1日かけて行う仕事はすんでしまうでしょう。まだ午後1時です。このあとも、13:00-15:00、15:00-17:00と、二つの全く異なるミーティングをこなします。ここまでで2倍、さらに夜の有効活用で3倍、週末の過ごし方も仕事のネットワーキングが広がり、結果として5倍くらいのスピード感で仕事が進みます。

組織人ワークスタイルが、「役割を果たすために働く」のに対して、自由人ワークスタイルは、「自分が楽しいことを仕事にする」のです。ですから、忙しそうに見えても、楽しく、まるで遊んでいるのか、仕事をしているのか、見分けがつかない毎日を過ごしています。人と会うのも、組織人ワークスタイルでは、緊張感ある交渉ごとのようですが、自由人ワークスタイルでは、親友と食事に行くような感じになります。

3. 働き方のパターン

下図に、働き方のパターンを2軸で4つに分けたものを示したいと思います。

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横軸は、「組織人」か「自由人」かです。自由人は、起業家やフリーランス、組織人は会社員が中心と考えてください。

縦軸は、「身の丈コース」か「一人ではできないことコース」です。これはSVP東京創業者の井上英之さんとのフューチャーセッション「社会起業家精神の未来」で得たアイデアです。一人ではできないことコースを歩む人は、自分だけではできないような大きなビジョンを掲げ、「自分だけではできないけど、誰か一緒にやってください!」と周囲に働きかけます。一人ひとりができることは高が知れていますので、こういう人がいないと、大きな社会インパクトは生まれません。

右上の「組織人」×「一人ではできないことコース」は、大きなプロジェクトを推進する組織人です。人数的には少なくなりますが、もちろんここは面白い仕事です。問題は、このエリアで働く人たちの生産性が低いことです。内向きの会議、それに向けた大量の資料作成、やる気のない部門への説得など、一つの企画を実現するために、社内で費やす労力は半端ではありません。

彼ら組織人イノベーターが、自由人イノベーターである起業家たちと同じ土俵で知的競争を戦うのは、ハンディが大きすぎます。以前であれば、組織人にしか使えない資産がありましたが、今は組織人も自由人も使えるツールはほとんど同じです。

4. 新しい働き方をする人たちの「塊」

最近のトレンドは、組織人イノベーターが、自由人イノベーターとタッグを組むワークスタイルです。組織人イノベーターは、面倒な社内手続きをパスするために、そこを自由人イノベーターに委託します。自由人イノベーターは得意な領域を組織人の5倍のスピードで進め、組織人の持つリソースや信頼を活用して、そのアイデアを全国・世界へと広げます。

つまり、「自由人ワークスタイルの組織人」や「組織のリソースを活用する自由人」が渾然一体となった、「ハイブリッド・ワークスタイル」が生まれ始めているのです。

自由人と組織人のハイブリッドな働き方をする人が増えてきています。ですが、企業は見て見ぬ振りをしています。このようなワークスタイルを公に認めてしまうと、まじめに組織人として働いている人たちがクーデターを起こすのではないかと心配しているからです。

しかし、確実に新しい働き方をする人たちは増えてきています。次のような人たちが増えてきていますし、こういう人たちが会社の未来をつくると期待されています。
・企業の持つ課題を外に持ち出して、スピーディに問題解決する組織人
・NPOと一緒に活動しながら、自社のイノベーションのヒントを得ようとする組織人
・自社の業界とは無関係に、様々なオープンイノベーションの場に参加する組織人

このようなハイブリッド・ワークスタイルが、無視できない人数になってきていると思います。さらに企業側から見ても、イノベーションを促進していかなければ生きていけませんので、このようなワークスタイルを応援する必要があります。

今この時点で私の持っている「問い」は、ハイブリッド・ワークスタイルが、「団塊の世代」のように、ある一定の「塊」になったとき、彼ら彼女らの求めるライフスタイル、ワークスタイルに対して、どんな商品やサービスが提供されるようになるのだろうか、ということにあります。どうしたらこういう人を増やせるかではなく、増えてしまったとしたら、この社会はどう変わるだろうか、ということを今から考えておく必要があると思います。

あなたも考えてみてください。

ハイブリッド・ワークスタイルの人の割合が30%くらいを占める、未来の社会像を。

あなたは、そういう生き方をしたいですか? ものすごい数の人たちがそのようなスタイルに変わった時、この社会の構図やシステムは、どう変わっているでしょうか?

想像すると、わくわくしますね。

2012年7月 3日 (火)

新しい働き方が生まれる「トレンド」と「兆し」

1. 私自身の「新しい働き方」

日曜日に「働き方の未来」を考えることを宣言して、月曜日の朝にはfacebookでたくさんのフィードバックをいただきました。「フューチャーセッションやるなら、一緒にやろうよ」という申し出もいただきました。ありがとうございました。

そして、濃密な対話をたくさんの人と行いました。コクヨの齋藤敦子さん、乃村工藝社で「未来の場づくり」を考えている方々、エコノミスト誌の記者さん、ミラツク代表の西村さん、そして慶應SFCの井上英之さん。なんてぜいたくな一日でしょうか。この日は、私にとって特別な日ではなく、このほかにも別のミーティングもありましたし、西村さんと井上さんとお会いしたのは偶然でした。

こんなことが日常なのです。会う人、会う人と、「日本をこうしていきたい」と夢を語り合い、その場で仕掛けを構想し、周囲を巻き込んでいきます。このスピード感が、私自身の実感する「新しい働き方」です。

でも、「働き方の未来」が重要になってくるという根拠は、そんな個人的な話だけではありません。


2. マクロなトレンド

ラッキーにも、午前中からこのテーマで、コクヨのWORKSIGHT編集人である齋藤さんと対話することができました。彼女とは、日本企業の置かれているマクロなトレンドから、「働き方がどう変わらざるを得ないか」という議論を行いました。

日本の大企業は、製造業もシステムインテグレーション企業も、生き残っていくにはアジアに仕事を移していくしかありません。

一つは、人件費です。某自動車メーカーのナレッジマネジメントの仕事は、数年前まではベテランの暗黙知をデータベース化することでしたが、今は日本人の持つ知識をインド人にどう分かりやすく伝えるか、になっています。グローバルなナレッジマネジメントの行く末にあるのは、「日本にはオペレーショナルな仕事は残らない」という結果です。つまり、コアの技術者、企画戦略系スタッフをのぞいて、多くの日本人社員の仕事がなくなるのです。

もう一つは、市場の縮小です。日本は人口が右肩下がりですから、市場としての魅力がなくなっていきます。現地設計・生産・消費を徹底していくと、日本の大企業は、日本の企業というイメージを捨てて、グローバル企業として生き残っていくことになります。

日本の大企業は、このようなトレンドを押し進めながら、社員に対しては「日本には創造的な仕事が残る」とだけ言って、「多くの人の仕事がなくなる」ことをはっきりと伝えていません。社員も、「自分の仕事は残る」と無根拠に信じているのが現状です。

日本を大企業に任せておくと、中間層の仕事が、ぼこっとなくなります。どこかの企業のリストラが容認されれば、たくさんの企業が追随し、残るのは「一部の高給取りスタッフ」と「海外並みの給与で働くスタッフ」だけになるかもしれません。起きてほしくありませんが、起きたとしてもまったく驚くシナリオではありません。


3. ミクロな兆し

その一方で、明るい兆しもたくさん見えてきています。コクヨも、ヒカリエにMOVという「異文化・異分野が出会うための場」を作っていますし、特に渋谷には、co-baをはじめとし、たくさんのコワーキングスペースが根付いてきています。フューチャーセンターも同様ですが、どの場も、「まずつながって、そこから価値を生み出す」ことを促進するためのプラットフォームとして機能しています。

今のところ大企業から見たこのコワーキングの動きは、「フリーランスの間に起きている流行で、大企業には関係がない」と映っていると思います。しかし、私にはそうは見えません。彼ら彼女らのコラボレーションのスピードは、とんでもないスピードで、まさにプロジェクト型、オープンイノベーション型の仕事のあり方を実践しています。企業で1ヶ月かけて検討する企画が、こういう場では、1日でプロトタイプできてしまうのを実感します。

私は、このように「組織の役割に閉じない働き方」を実践する人がますます増えていき、結果として「グローバル企業がリストラする中間層」と同じ規模感で、「ローカルな価値を生み出す自由ワーカー」という大きな集団を作り上げるのではないかと思い始めています。

そして齋藤さんとは、これからの2年間、マクロなトレンドを収集・整理すると同時に、ミクロな兆しをしっかりと取材し、それらを集めた「働き方の未来」フューチャーセッションを開催していくことを話し合いました。


4. 地域活性化と働き方

働き方の変化は、企業だけの問題ではありません。

乃村工藝社とは、地域活性化についての議論をしました。人口が減少していく中、地域の経済を立て直すためには、既存の縦割り発想を超えた、「面で価値を生み出す」プロデューサーが必要になります。たとえば、一つの文化施設や商業施設を作るにしても、既存の商店街の価値も一緒に高めるような運動を仕掛けるなど、地域全体の価値を高めていくセンスが必要になります。

このような仕事は、東京のゼネコンやシンクタンクには、なかなか難しいでしょう。何より、この努力が短期的には報われないからです。いきおい、このような「地域の価値を高める」仕事を担うのは、地元を深く理解している「ローカルな価値を生み出す自由ワーカー」になるのです。彼ら彼女らの仕事は、マス市場を相手にするものではありませんので、プロジェクト規模は小さくなります。しかし、創造性の発揮度合いはとても大きなものになります。社会起業家精神に満ちあふれた創造的な仕事が、地方にたくさん生まれると言っていいでしょう。

フューチャーセッションズでは、企業(ビジネスセクター)、行政・地域(パブリックセクター)、NPO(ソーシャルセクター)を横断した、あらゆるフューチャーセッションを提供しようとしています。企業の課題を社会起業家が一緒に考え、社会をよりよくする商品を一緒に生み出すこともあるでしょう。地域の問題を企業が一緒になって解決する、ということもあるでしょう。子育てしながら働く環境づくりなどの社会的課題を企業と行政が一緒になって達成する、ということもあるでしょう。今必要なことは、人材も、プロジェクトも、セクターを超えてつながって行動することなのです。

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5. これからの日本社会を担うリーダー、フォロワー

井上さんとは、「社会をこうしたいというビジョンを掲げ、それに向かって仕事をすることを喜びと思う」リーダーをどう増やしていくか、という話をしました。一昨日のTEDxTokyoでお会いして一緒にお話しした、英治出版の原田英治さんは、「フォロワーシップがもっと注目されるべき」と語っていました。

リーダーもフォロワーも大事、という議論としてもいいのですが、私から見ると、このお二人の言っている人物像は、リーダーとフォロワーという異なる言葉を使いながら、ほぼ同じことを言わんとしているのではないかと思いました。井上さんの語るリーダーは、必ずしも起業家のような本来のリーダーだけではなく、例えば会社の新入社員であっても、「私はこんな仕事がしたくてこの会社に入りました」と旗を立てることができるということだと思います。もしその人の想いが、会社のビジョンと沿っているならば、この人は究極のフォロワーシップの発揮者になることでしょう。

つまり、これからの「働き方の未来」に対するヒントとして、「リーダーでありフォロワーでもある働き方」が重要になってくる、ということが言えるのではないでしょうか。

このような「新しい働き方」をする人が、確実に増えていくでしょう。それは、グローバルな外因的トレンドによって加速されるからです。また、日本の地域が求める、内発的な欲求によっても加速されていくでしょう。

私たち一人ひとりにとっては、「今の働き方にとどまる」か、「新しい働き方に移る」かが、チョイスになるでしょう。今から、「新しい働き方」を自分のワークライフの中に、試しに取り入れてみてはいかがでしょうか。

まずその第一歩として、フューチャーセッションに参加するのもいいですね。ぜひ。

2012年7月 1日 (日)

2012年、「働き方の未来」を考えてみたいと思います

1. 自由な働き方を愛して

2012年6月。20年間お世話になった大好きな富士ゼロックスを離れ、株式会社フューチャーセッションズという会社を立ち上げました。2000年にKDI(Knowledge Dynamics Initiative)を自ら立ち上げて12年間、日本の知識創造型経営の実現に向けて突っ走ってきました。

20年前、私が富士ゼロックスを選んだのは、当時日本では、NTTと並んで、「好きなことをやらせてくれる研究所」を持っていたからです。NTTは電話、ゼロックスはコピーで稼いだ資金をふんだんに持ち、将来の新たな稼ぎ頭を生み出すために研究投資をしていました。

富士ゼロックスに入り、グループウェアや組織知活用のためのシステムなど、好きな研究を思いっきり楽しみました。そしてある日、「世界で活躍できる、真の研究者求む!」という社内公募の書類を同僚が見つけてきました。「これ、君、いいんじゃない?」って。

1998年に今のKDIの前身の、コーポレート部門のKDIに公募で移りました。それからは、海外出張と役員サポートがメインの仕事になり、経営理論の世界で、面白いものがないか?と、いつもアンテナを張っていました。面白いものがあると、ぽーんと海外にも飛んでいきました。そして2000年に、知識サービス事業「KDI」を新事業として立ち上げました。

それからは、もっと自由になりました。

プロジェクトで売り上げを立てれるならば、世界中の、どんな社外パートナーとでも組むことができました。最大の贅沢は、IDEO(アイディオ)と一緒にたくさんのプロジェクトを行ったことです。最初は、IDEOの東京スタジオと共同で事業を行いました。次に、IDEOのベイエリア本社と一緒に、クライアント企業に対するイノベーションプロセスのコンサルティングと、富士ゼロックスの新事業コンセプトを発想するプロジェクトを行いました。

そして2009年頃からでしょうか、フューチャーセンターの活動に本腰を入れるようになりました。欧州のフューチャーセンター・アライアンスを訪問したり、東京でフューチャーセンター・アライアンス・サミットというイベントを開催したり、さらに一緒にクライアントのプロジェクトを実行したりもしました。

これほど楽しい仕事はありませんでした。私がKDIを離れるなんて、まったくもったいないことだと、私も、皆さんも、思うでしょう。


2. 独立の二つの理由

私が独立を決心した一つ目の理由は、「社会の要請」です。社会イノベーションが、理論ではなく現実に求められる時代になったということです。しかし、2011年の東日本大震災が、私の考え方を一変させました。新会社を立ち上げた目的は、「企業だけではカバーできない、行政、NPOを横断する領域での社会イノベーションを促進するプラットフォームが必要である。それを自分がやらなければならない」と考えたからです。

独立のもう一つの理由は、「個人の要請」です。下図は、これまでに私が出した、著書あるいは監修書を時系列に並べたものです。

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コミュニティづくり、組織変革、ファシリテーター育成、創造的な会議の方法論、フューチャーセンターと、一貫して、組織内の個の力を拡大するための経営理論を作り上げようとしてきた、と言えるでしょう。ところが震災後、「組織内の個」の求めるものが、大きく変わり始めました。「会社をよりよくする個」から、「社会に立ち向かう個」に、私が支援したい「個」がシフトしてきたのです。そして私は、組織を飛び出して社会に立ち向かう個を支援するために、フューチャーセンターのネットワークをつくろうと決心したのです。


3. 社会イノベーションから、再び「働き方」へ

フューチャーセンターは、多様なステークホルダーが集まり、対話と協業の方法論をファシリテーターが駆使し、結果として協調的アクションにより複雑な問題を解決しようとするものです。

私は、このフューチャーセンターを使って、セクター横断の新産業創出などの社会イノベーションを仕掛けようと新会社を立ち上げました。そして、地域活性化の推進、社会的企業の実現、社会問題の解決など、様々なテーマで、「フューチャーセッション」の仕掛けをつくり始めました。

そこに、ふと振り返るきっかけが舞い込んできたのです。

そのきっかけは、神田昌典氏が与えてくれました。彼から、対談の申し出があったのです。神田さんの「2022ーこれから10年、活躍できる人の条件」と、彼の監修したセス・ゴーディン氏の「Work 3.0」を読んで、確かにこれは、同じ方向を指し示している、と感じました。

私がKDIを始めたときに、組織の「働き方を変える」ことをめざしていました。「働き方を変えるのは何のため?」ということを突き詰めていって、「イノベーション」を起こすためだと考えました。さらに、「イノベーションは何のため?」を突き詰め、企業が事業を通して「社会イノベーション」を起こせる社会づくりというところにたどり着きました。

そして今再び、「社会イノベーションが企業の仕事になったとき、働き方はどう変わるのか?」という問いに戻ってきたのです。

私は、社会を「つながりと創造性」をベースとしたものに、変えていきたいと思っています。そのとき、働き方はどう変わるのか?ということを同時に考えていくべき、と気づきました。

「働き方の未来」を考えていきます。このテーマで、フューチャーセッションも開いていきます。

そして、一緒に働き方を変えていきましょう。

野村 恭彦 (Takahiko Nomura)
株式会社フューチャーセッションズ 代表取締役社長

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