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2009年3月21日 (土)

戦略か、平等か? 人事部は事務局力をいかに発揮できるか

人事部というのは、ほんとうに不思議な部門だ。

社員から見ると、「会社そのもの」と言っても言いほど、体制側を代表した任務を負っている。採用に始まり、人事評価、昇進、異動、転勤、左遷、リストラなど、社員の人生に影響を与えるイベントで、たいていの場合、恨むとすれば人事である。

人事部で働く友人から、「今年でリストラ業務7年目です。疲れます」と一行だけ書かれた年賀状をもらったとき、人事の抱える大きなジレンマを感じて目を覆った。大きなリストラが発表されれば、社員はみんなで経営者の文句を言う。施策の不備を挙げ連ね、身近な人がその対象になれば、「この人の家庭の事情も知らずに、ひどいぜ!」と叫ぶ。誰も自分自身がリストラする側の立場になることは、考えても見ない。しかし、その制度を設計しているのは、資本家でも経営者でもない、文句を言っている社員の同期の仲間が、偶然人事部という部門に配属されてやっているだけだ。

人事部員は、評価の甘い管理者には、部下の評価を下げさせなければならない。管理者に恵まれない社員には、よい異動先を見つけてあげなければならない。そうして、他人の昇進を自分の子供の成長のように喜ぶのが仕事だ。だが、彼らの仕事は評価されづらい。ほめられることも少ない。このような状況の中にあると、多くの人が無意識のうちに、「私たちは経営の中枢にいる社員なのだ」という自己正当化の道へと逃げ込むことになる。これが官僚化の道である。

官僚化した人事部は、「人の事を扱う」というミクロな視点を失い、「平等な人事制度の保持」というマクロな視点にのみ関心を持つようになる。こうなってしまうと、会社全体が「人間らしさ」を失う。その結果が、人事部で働く友人のメッセージだ。「『人の事』を考えるな、君たちは制度の番人だ!」と叱咤激励され、日夜リストラ業務に没頭する。これが会社のためなんだ、みんなのためなんだ、と言い聞かせながら。

違う!

これは大いなる過ちだ。ルールを作って管理する側と、ルール通りに管理される側に人を分けるのは、機械を管理するのと同じである

人事部門は、「うちの社員の力を最大限発揮したら、どんなことができるか?」、「今の制度は、社員の力を制約していないか?」、「優秀な社員をもっとやる気にさせるには?」、といった仮説を次々と生み出し、その検証を意識の高い現場と一緒になってプロトタイピングしながら仕事を進めていくことができる。つまり、「ルールを作って、守らせる」仕事をやめて、「社員の力を最大限に発揮させるための戦略仮説を作って、試験し、実践する」仕事にシフトしていけるはずだ。

この実現こそ、人事部の事務局力になる。まず人事部のトップは、「ルールは、社員が気持ちよく働くための手段」と宣言すべきだ。そうなれば、人事部員は「社員にとって何がベストなのか」を必死に考えざるを得ない。株主の意向をルール化するのが人事の仕事だと言うのとは、180度違う発想だ。人事部員は、もっとも現場を訪問する職種になる。現場に行くたびに仮説が生まれる。それを持ちより、人事部では「わが社の社員にとっての働く意義とは、喜びとは」という青臭い議論が毎日のように交わされるようになる。

人事部が明るくオープンな会社は、必ず「良い会社」だ。頼むぞ、人事部。

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