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2009年3月の12件の記事

2009年3月22日 (日)

プレジデント誌「職場の心理学」に「毎朝の出社が楽しい職場はどこが違うのか」という記事が載りました

KDIで書いた「サラサラの組織」と、GLOCOMで研究している「イノベーション行動科学」は、もともと違うレイヤーをねらった活動だったのだが、最近、この二つがしっかりと結びついてきた。

「ドロドロの組織」を超えるためには、一人ひとりの「イノベーション行動」が必要。それを組織能力として捉えると、「革新生産性」という考え方になる。チームレベル、部門レベル、全社レベルでの革新生産性の高い組織が、サラサラの組織だ。誰かが気づいたらすぐに組織的な取り組みが始まる。サラサラの組織を生み出すための、一人ひとりの行動原理に着目したものが「イノベーション行動科学」だ、ということになる。どちらも自分の主張であるからトートロジーなのだが、 サラサラ組織=イノベーションを生み出す という繋がりが見えてきた気がする。

こういった関係であることを頭に入れていただき、プレジデント誌の職場の心理学の最新号、サラサラの組織に関する記事を見てほしい。前回同様、荻野さんとの共作で、「毎朝の出社が楽しい職場はどこが違うのか」というタイトルになった。前回はイノベーション行動科学を意識したもので、今回はサラサラの組織のアプローチだが、続けて読んでいただければ、二つの記事の連続性がわかってもらえるだろう。

2009年3月21日 (土)

事務局力の実践(4): 社内の問題を社外の知で解く

社内の問題を社内で解決するのは、ことのほか難しい。部門間の立場の違いがあったり、正しいことを言っても「この若造が」と思われることもある。とにかく、社内の人の言うことは聞かない、という人は殊のほか多い

そこで活用したいのが、社外の知だ。コンサルタントを雇ったり、アライアンスを組んだりといった大げさなものでなくとも、社外の知をもっと手軽に活用することはできる事務局力の七つ道具の六番目、「あこがれベンチマーキング」で他社で同じ仕事をしている人を見つけよう。いきなりアクセスするのが難しければ、まずは自分のケアリストを眺める。その人の部門は関係ない。その人に適切な部門を紹介してもらえばいいのだ。

たとえば、あなたがCSR部(企業の社会的責任)に配属になったとしよう。うちの会社のCSRは中途半端だ、もっと社会価値を起点に企業活動を組みなおすべきだと主張しても、「わかっちゃいないね、しろうと君は」と言われるのが関の山だ。そういう時こそ、知り合いのつてを手繰って、他社の志高いCSR部を紹介してもらうのだ。そして企業間での、CSR部同士の交流の場を持とう。他社の人の言葉には、必ずや皆、耳を傾けるはずだ。

そこで注意しておきたいのは、こういうときに「ほら私が前から言っている通りでしょ」、という態度はご法度だ。自分も今気付きました、という感じでほほぅ、と言っていたほうがいい。交流の場を終えた翌日に、もし先輩が「やっぱりCSR部はああじゃなくちゃね。みんなも見習えよ」とか言っていたら、大成功だ。「だから私が、、、」とか言ってはならない。事務局力は、表に出ないところが美しいのだ。

事務局力の実践(3): 社外の生きた人脈を構築する

次は、社外に開かれた、半径100kmのネットワークでの事務局力に注目しよう。人脈の重要性を否定する人はいない。社内の人脈は、いろいろな仕事をしているうちに自然に広がっていく。だが、社外の人脈は意識しないとなかなか広がらない

学会や国際会議で発表する、講演会に出席する、技術フェアに参加する、政府や学会主催の研究会の委員になる、ベンダー主催のユーザ会に出るなど、公式に社外の人脈を広げる機会はいろいろある。さらには、友達の友達が集まるような非公式な勉強会、大学やNPOが主催する研究会など、ネットワーキングの機会は無限に存在するようだ。

問題は、どこに参加するかではない。どのように参加するかだ。

ある会社では、社外のフェアや講演に行ったら、三日以内にレポートを出すことを義務付ける運動を必死にやっている。三日以内にレポートを書くことは悪くはないが、子供の宿題じゃあるまいし、義務付けなくてもよいだろう。この施策の意味するところは、「社外に出たら情報を取ってこい」というマインドセットである。はっきり言って、間違っている。そのかわりに、「社外に出たら生きた人脈を作ってこい」と言うべきだ。

生きた人脈とは、「損得抜きに何かを頼める」という人間関係を作ることだ。どうしたら、そんな関係を構築することができるのだろうか。それは、「情報を取ってくる」というマインドとは逆の、「価値ある情報で貢献する」というマインドだけが生み出す、人間のドラマだ。逆の立場で考えればわかるだろう。あとで有益な情報をくれそうな人との名刺交換は、出かけて行ったことの価値だと感じるだろう。相手も同じだ。あなたが何か必要な情報があれば、何でもどうぞという姿勢だからこそ、この人と人間関係を結んでおきたいと思うのだ。

これこそ、まさに事務局力である。イベント参加者全員に対して、何か貢献をしようと考えて接するケアの気持ちを伝え、場の共通の議題を見つけるよう努力する。ホワイトボードがなくても、言葉の力で人と人とをつなぐことができる。パーティ鍋奉行だ。そのことならあの人が詳しい、あなたと同じ業界の人とさっき会いましたよ、と人と人を引き合わせる。共通の話題ができてきたら、どんどんその輪を大きくしていこう。「この件に関する有益な資料を持っているので、必要であれば名刺をくださいね」と声をかけよう。お土産がほしい参加者は、こぞって名刺交換をしたがるだろう。

そしてイベントから帰ったら、その日のうちに名刺交換した人にメールを打つ。翌朝でもいいが、それならば9時より前だ。とにかく、相手が翌朝メールボックスを開けた時に、メールが届いていたほうがいい。もちろん、これはケアメールだ。名刺交換+ケアメールで、確実に「生きた人脈」を作ることができる

こうして、自分自身のケアリストに社外の人脈を連ねていく。何かイベントなどを開くときは、ケアリスト全員に丁寧にメールを送って招待する。来なくてもかまわない。ケアし続けることが大事だ。ケアしておけば、何か状況が変わった時に、助けてくれる、あるいは協業できるはずだ。大事なことは、ケアし続けることだ

遠慮してはいけない。時間を惜しんでもいけない。ケア、ケア、そしてケアだ。

事務局力の実践(2): タスクフォースで全社課題を解決せよ

次の課題は、半径100メートル。組織横断の課題への挑戦だ。大企業では組織は縦割りになり、それぞれの立場で主張する。だから全社課題についても、「自分だけの問題ではない」と協力的にならない。そんななか、あなたが全社課題の解決を任されたら。どうしますか。

「まいったな。全社の情報共有を根本から考え直せって。社長の思いつき、本当に参ったよな」と、課長は大弱りだ。つい先ほどあなたは課長と二人で部長に呼ばれ、「情報共有の全社タスク」を立ち上げて問題解決に当たるよう、指示されたばかりだ。社長は、あちこちにサーバーが立ち上がってしまっていて、どこにどんな情報があるのかわからない状態にもかかわらず、次々と各部門が独自のサーバーを新たに立ち上げる稟議を上げてきたものだから、カンカンなのだ。

全社タスクとは、関連各部門から一名ずつ担当者を出してもらい、組織横断チームで現状の分析を行い、ビジョンや施策を提言するための時限組織だ。難しさは、すべてのメンバーが自部門の仕事をそのまま抱えて参加するので時間がとれないこと、もう一つはどの参加者もタスク終了後に自部門に迷惑のかかる結論を持ち帰りたくない、と思っていることだ。つまり誰もが、参加の仕方も、アウトプットの出し方も、腰が引けているのだ。

全社タスクは、こういった構図の中、大きな挑戦の伴わない、ちょうどよい落とし所を探すことになる。「ま、検索エンジンを入れて、ポータルを立ち上げれば、なんとか形になるよな」。課長の言うとおりだが、これではお茶を濁しているようなものだ。事務局力を発揮して、情報共有の本質に取り組む全社タスクを立ち上げられないものだろうか

課長が、各部門の総括担当者に人選をお願いする連絡書を用意すると言って席に戻る。さあ急げ、言わなければいけない。「ちょっと待ってください、人選の前に、私に現場を回らせていただけませんか」、と。

こういうときはアポイントは不要だ。拠点の中を歩き回り、知った顔があれば、その部門の情報の整理・活用がどうなっているかを聞いてみる。その人に、同じ部門のキーパーソンを紹介してもらったら、そこにも足を運ぶ。こういうときは、鍋奉行ホワイトボードをクロッキー帳(デッサン帳)にもちかえ、インタビューをしながら相手の言葉をマインドマップでまとめていく。それぞれの部門で、情報を持っている人は誰、情報を必要としている人は誰、どの部門と情報共有することに価値があるかを発見していく。

全部門を回り終わったら、すべてのマインドマップをテーブルの上に広げて、アガペーモードで眺める。すべての部門の人たちを愛で包むのだ。この人たちのために、何ができるだろうか。情報をつなぐことで、誰がどのように助かるのだろうか、と。想像力を働かせる。頭の中には、インタビューした10人以上の人の顔が浮かぶだろう。じっくり考えていると、彼ら彼女らの顔が次第に話し始める。「お客様の要望に近い事例が過去になかったかどうか、すぐ見つけられたら助かる」、「各部門の契約書が一元管理されていれば」、「過去に同じような技術の検討がなされているかどうか知りたい」、等々。次々と想像が広がり始めたならば、それはもう彼ら彼女らがあなたの中に「ペルソナ」として、生き生きと生活を始めたことになる。

そのようになったら、初めて企画書の作成にかかろう。するすると、簡単に企画書が作れるだろう。誰のために何をしたいのか、熱い物語が書けるに違いない。事務局力にとって、企画書は何より大切な武器だ。しかし頭を抱えながら時間をかけて企画書を書くのに、何の意味もない。企画書は、書きたくてウズウズするまで、現場を回って話をしていなければならない

事務局力を発揮する人は、タスクメンバーを集める前に、すでに勝負をつけているのだ。タスクメンバーを集めてから、「皆さんどう思いますか?」では、腰の引けたメンバーをやる気にさせることはできない。さあ、先手をとって、動きましょう

事務局力の実践(1): チームの中で自分の企画を実現したい

まずは半径10メートルの事務局力の実践だ。チームと一言で言っても、サイズは3人くらいから50人以上と幅広いだろうし、特徴もいろいろあろう。しかしここでは、チームを「全員が毎日顔を合わせる」関係で、「全員が利害関係者」である人の集まりとして考えることにする。

あなたは突然、部長室に呼ばれる。「君もそろそろ、新しいサービスの企画を考えてみないか」と言われ、頭に血が上る。大抜擢だが、ある意味で試練だ。いい企画が出なければ部長の信頼を損ねるし、調子に乗っていると思われると、他のメンバーの嫉妬を買う事になる。どちらも絶対避けたい。さあ、あなたならどうする。

1. 部長に対して、余裕の微笑を浮かべ、落ち着いた声で「任せてください。ご期待に沿えるようにいたします」と言う。気分はゴルゴサーティーン。狙った獲物は逃しませんよ。

2. 部長室を出るとき、口元のにやつきがばれないよう、あえて眉間にしわを寄せる。はやる気持ちを抑えて、できるだけゆっくりと歩いて自席に戻る。パソコンの電源を入れて、「はー」とため息をつく。あたしゃ、うれしくありませんよ。

あなたができるサラリーマンであれば、この1, 2を自然にこなすことであろう。そう、このことはもちろん、まったく本質的ではない。問題は、ここからだ。そう、事務局力を発揮せよ。

まず事務局力の七つ道具の一つ目、ケアメールからスタートだ。メールツールを立ち上げながら、マインドセットを整える。この仕事で期待されていることは、自分一人の力で成果を出そうとすることではなく、自分がきっかけを作ってチーム全体が良いアウトプットを出すことだ、と。そうしたら、チームの中で先輩、後輩問わず、企画力のある人を選んで、ブレインストーミングの協力依頼をする。「部長から、企画のとりまとめを頼まれました。皆さんの力を最大限発揮するのが、私の仕事です」と書くことを忘れてはいけない。「私の企画に、さあ皆さん協力してください」では、誰も乗ってきてくれるはずがない。せっかく自分が任された仕事なのに、と思う人は、七つ道具の二つ目、アガペー(神の愛)モードを使って考えてみてほしい。どうしたらこの企画で、チーム全員がハッピーになれるのか、と。

ブレインストーミングが実現したら、ここで七つ道具の三つ目、鍋奉行ホワイトボードの応用をしてみよう。ホワイトボードをセッションが終わっても、そのまま居室の中に置いておくのだ。アイデアがたくさん貼ってある状態で。そして、ケアメールの第二段。こんどはチーム全員にメールだ。「企画のとりまとめをしています。最初のきっかけを○さん、○さん、○さん、にお願いしました。ぜひ全員でアイデアを加えていってください。チーム全員が一丸となれる企画を作りたいのです」。もちろんこれだけで、みんながアイデアを出してくれると思ってはいけない。誰かコーヒーを淹れに行ったなと気づけば、すぐに追いかけて行き、一緒にコーヒーを飲みながら「アイデアありませんか?」と話しかける。しつこく、しつこく続ける。

そして七つ道具の五つ目、内職プレゼンテーションの登場だ。毎日帰るときには、「今日皆さんからいただいたアイデア」というスライド一枚を作成し、全員にメールをする。もちろん、ホワイトボードの近くにも貼っておく。自分の思いつき、ちょっとした助言が、しっかりと取り入れられていくと、アイデアが可愛いものに感じられるようになる。チーム全員の愛情が注がれるようになる。

部長への報告の日。あなたは堂々と、「企画創出のプロセス」を語ればいい。「お前のアイデアではないのか」、と叱るような上司はいない。あなたの事務局力に感心しつつ、目を細めるだろう。「みんなで作ったのか」、と。

経理部員はスプレッドシートの向こうに何を見る

経理部の創造性は、現場からはきわめて見えにくい。

現場の提出した予算に難癖をつけて、会社の業績が悪くなると経費一律カットの指示を出す。あとは現場が稼いだお金を計算しているだけ。こんなネガティブなイメージを持っている人も少なくないだろう。だからいきおい、現場は自分の都合で月度末、年度末にまとめて経費の処理をする。経理部がそのタイミングで死にそうな思いをして残業していることに、なかなか想像力が及ばない。

このようなイメージに反して、経理部はきわめて創造的な業務だ。現場の人は自分の部門の仕事はよく知っている。自部門の予算管理のスプレッドシートを見たときに、数字を見ると、その数字の向こうにポワーンと、あれを買ったお金、あのプロジェクトで使った、といった現実が思い浮かぶはずだ。では、他の部門のスプレッドシートを見て、同じような想像力を働かせたことのある人は、どのくらいいるだろうか?

経理部とは、数字から現実を想像する業務である。そして数字によって未来を創造する業務でもある。

私の尊敬する経営者の人の話だが、その人がまだ若いころ、工場の経理を任された。彼はルールに従って数字をつけていたが、よくわからない数字がある。これはなんだろうか?と思うたびに、彼は工場を歩き回った。なるほど、ここに在庫が転がっているのか。それがあの数字か、と。そのうち、今の経理のルールでは、工場の現状をしっかりと表しきれていない事に気づく。そして提案する。「経理のやり方をこう変えたほうがいいのでは?」、と。もちろん、若造の話をそんなに真剣には取り合ってくれず、「そのうち検討しよう」ということで現状維持のままになった。

彼のすごいところは、「昼の8時間で、既存のやり方で経理をつけた。そのあと残業で、自分の考えるやり方で経理をつけた。二人分の仕事をやった」というところだ。新しい経理のつけ方をしていると、数字を見ると、工場の場所が目に浮かぶほどだったということだ。

彼はその後、社長にまでなった。経営会議では、「この数字、ちょっとおかしくない?」と社長が指摘すると、たいていそこにはミスや課題が隠れていたと言う。それほど、数字から描く想像力はすさまじいのだ。

今の経理部員は、過度に専門化してしまって、現場に行って話をするようなことが減ってしまっているのではないだろうか。数字を見て想像力を働かせて、仮説を作る。それを現場に行って話し合う。経理の仕事は予算を削ることではなく、数字を通して未来を創造することだ。それを現場の社員に見せ付ける、そのような事務局力を発揮してほしい

システム開発部門を創造的にする事務局力とは

システム開発という仕事は、なんだか見えにくい

車の開発みたいに目に見える試作品もなく、実験も、車の衝突実験のような派手さはまったくない。モニター上のテスト画面で数字が動くだけだ。できあがったものも、目に見えない。コードが数千行だ、数万行だ、と言われても、エッフェル塔のように目に見えないから、へぇーっと驚くこともない。仕事をしている様子も、大勢がただパソコンに向かって仕事をしているだけだし、デザインレビューは文字の羅列をみんなで読み合わせしているようにしか見えない。きっとすごい技術とか、美しいコードとかがあるのだろうけど、それがユーザから目に見えることはない。特に大規模システムになれば、この傾向は顕著だ。iPodのユーザインタフェースに感激する人はいても、銀行のATMのユーザインタフェースを褒める人には会ったことがない。つまり、それを動かすために膨大なソフトウェアが組まれているにもかかわらず、一般市民からは何も見えないのだ。

そうなると、いきおいシステム開発の仕事自体が、ダウンしない、ミスのない、格好悪くてもしっかり動く事が大事、となっていく。そうなれば、挑戦とか、感動とか、そういった刺激からどんどん離れていってしまう。その結果、新たな発想とかイノベーションが生まれなくなってしまうのだ。「測れるものは改善できる」とよく言うが、「目に見えるものは挑戦できる」ということなのだ。目に見えない仕事、目に見えないアウトプットは、挑戦意欲を組織的に低下させていってしまう。

システム開発の仕事をもっと創造的に、挑戦意欲をかきたてられるものにしたい。そう考える変革リーダーは少なくない。本来の「ものづくり」の面白さ、「誰かのために役立つ」という達成感は、車や飛行機、薬品を作るのとなんら変わりはないはずだ。どのように、システム開発の仕事を目に見えるようにし、アウトプットも目に見えるようにすることができるのだろうか。

まず最初に発揮すべき事務局力は、ユーザの巻き込みである。システム開発者はユーザを訪れ、夢を語る。ユーザと夢を共有するのだ。ユーザに共感されないなら、そもそも作ろうとしているシステムが役立たずなのかもしれない。真剣勝負だ。

次に、ユーザに提供する「新しい体験」をシナリオ(物語、漫画、ビデオなど)で示し、社内外のステークホルダーに発信する。ビジョンの全体像をひとつの絵で示したものは、「ビジョンマップ」と呼ばれる。ここで大事なことは、開発チームの外の人たちへのビジョンの可視化と共有である。とにかく見に来てくれと頼み、来てくれたら、ビジョンについてとことん話し合う。システムの評価者にも、ユーザにも、開発パートナーにも、とにかくみんなに見せる。

システム開発が始まったら、大きく壁に貼った「ビジョンマップ」の中に、「ここを開発中!」とか「ここまで完成」といった、シールやポストイットを貼りまくるビジョンの実現度を実況中継するわけだ。

働き方も変えていけるはずだ。リーダーは事務局力を発揮し、開発メンバー全員の日常をイベント化することができる。巨大なカレンダーを掲示し、システムリリースの日には「祭り!」と入れる。学園祭の準備のような毎日を演出するのだ。祭りを演出するには、チームのTシャツを作る、主題歌を決めて会議の最初に必ず流す、メンバー全員を何かユニークな委員に任命する(広報委員、宴会委員、表彰委員、タイムキープ委員など)。

うまくいくかどうかの保証はない。だがはっきりしていることは、目に見えない仕事は、目に見えるようにするだけで、ずっと面白くなるということだ。

戦略か、平等か? 人事部は事務局力をいかに発揮できるか

人事部というのは、ほんとうに不思議な部門だ。

社員から見ると、「会社そのもの」と言っても言いほど、体制側を代表した任務を負っている。採用に始まり、人事評価、昇進、異動、転勤、左遷、リストラなど、社員の人生に影響を与えるイベントで、たいていの場合、恨むとすれば人事である。

人事部で働く友人から、「今年でリストラ業務7年目です。疲れます」と一行だけ書かれた年賀状をもらったとき、人事の抱える大きなジレンマを感じて目を覆った。大きなリストラが発表されれば、社員はみんなで経営者の文句を言う。施策の不備を挙げ連ね、身近な人がその対象になれば、「この人の家庭の事情も知らずに、ひどいぜ!」と叫ぶ。誰も自分自身がリストラする側の立場になることは、考えても見ない。しかし、その制度を設計しているのは、資本家でも経営者でもない、文句を言っている社員の同期の仲間が、偶然人事部という部門に配属されてやっているだけだ。

人事部員は、評価の甘い管理者には、部下の評価を下げさせなければならない。管理者に恵まれない社員には、よい異動先を見つけてあげなければならない。そうして、他人の昇進を自分の子供の成長のように喜ぶのが仕事だ。だが、彼らの仕事は評価されづらい。ほめられることも少ない。このような状況の中にあると、多くの人が無意識のうちに、「私たちは経営の中枢にいる社員なのだ」という自己正当化の道へと逃げ込むことになる。これが官僚化の道である。

官僚化した人事部は、「人の事を扱う」というミクロな視点を失い、「平等な人事制度の保持」というマクロな視点にのみ関心を持つようになる。こうなってしまうと、会社全体が「人間らしさ」を失う。その結果が、人事部で働く友人のメッセージだ。「『人の事』を考えるな、君たちは制度の番人だ!」と叱咤激励され、日夜リストラ業務に没頭する。これが会社のためなんだ、みんなのためなんだ、と言い聞かせながら。

違う!

これは大いなる過ちだ。ルールを作って管理する側と、ルール通りに管理される側に人を分けるのは、機械を管理するのと同じである

人事部門は、「うちの社員の力を最大限発揮したら、どんなことができるか?」、「今の制度は、社員の力を制約していないか?」、「優秀な社員をもっとやる気にさせるには?」、といった仮説を次々と生み出し、その検証を意識の高い現場と一緒になってプロトタイピングしながら仕事を進めていくことができる。つまり、「ルールを作って、守らせる」仕事をやめて、「社員の力を最大限に発揮させるための戦略仮説を作って、試験し、実践する」仕事にシフトしていけるはずだ。

この実現こそ、人事部の事務局力になる。まず人事部のトップは、「ルールは、社員が気持ちよく働くための手段」と宣言すべきだ。そうなれば、人事部員は「社員にとって何がベストなのか」を必死に考えざるを得ない。株主の意向をルール化するのが人事の仕事だと言うのとは、180度違う発想だ。人事部員は、もっとも現場を訪問する職種になる。現場に行くたびに仮説が生まれる。それを持ちより、人事部では「わが社の社員にとっての働く意義とは、喜びとは」という青臭い議論が毎日のように交わされるようになる。

人事部が明るくオープンな会社は、必ず「良い会社」だ。頼むぞ、人事部。

研究部門がイノベーションを主導する時代は終わったのか

「中央研究所の時代の終焉」というセンセーショナルなタイトルの訳書が話題を呼んだのは、1998年。この書籍の原題が"Engines of Innovation"だということを考えると、これほどまでに影響力を与えた「訳書のタイトル」は、なかなかない。その後、企業の研究所は「短期的成果」の呪縛に、すっかり巻き取られてきたのではないだろうか。

「短期的成果」という文句のつけようのない合理的なパワーは、研究所の創造性をすっかり破壊した。「投資」としてのコーポレート予算の研究費は減り、「開発委託」としての事業部スポンサーシップの研究費の割合が増えた。本来、長期的成長の源泉を生み出すべき研究所が、事業部門の「面倒な開発」の下請けになり下がった。これでは、イノベーションが起きるはずもない。

その結果、研究者は受け身になる。もうからない研究テーマは次々と変更されるので、研究チームリーダーの仕事は、「テーマをつぶされないための」社内政治になる。ブランドメッセージが変われば、「その実現のための技術」と言い、社長肝入りのプロジェクトが立ち上がれば、「それと関連が深い技術である」とパワーポイントを書き換える。

では、研究者が「自分の研究の正当化」という人生から抜け出て、「夢を実現するイノベーター」に戻るためには、どのような行動原理が必要になるのだろうか? ひとつには、事業部からのリクエストを待つのではなく、「事業部に夢を与える」先制攻撃を仕掛けることだ。事業部側のビジョンや目標設定のフェーズに、助言者として関わるのだ。そのためには「自分の技術の正当化」という考えを徹底的に排除する必要がある。真理の追求者、最先端技術に最も長けた専門家として振舞うのだ。

研究所のトップは、「研究所のアウトプット」にこだわることをやめるべきだ。研究所の強みは、「質の高いインプット」と、「本質を追求し続けるプロセス」にある。事業部に対し、これら二つの価値を提供することで、「会社全体のアウトプットの最大化」に貢献する。つまり、研究所が「質の高い研究開発」の事務局力を発揮するということだ。そのことが、結果として研究所のアウトプットを最大化することになる。

具体的に示そう。

これまでの研究所は、独自の長期技術戦略を立て、それを示すことで事業部とコミュニケーションをしようとしてきた。このオーソドックスなスタイルは、事業検討のスパン(短期的)と、技術開発のスパン(長期的)が合わないため、結局のところ「研究所がやりたいことを正当化するために作られた」文書になってしまっていた。その結果、「そんなことより事業計画に合わせて、こんな技術を作ってくださいよ」という下請け研究が幅を利かすことになる。

それでは、事務局力のある研究企画はどのように行われるのか。まず、「事業部の長期的発展のための技術戦略」に目的を入れ替える。自ら下請け研究にまっしぐらのように見えるが、そうではない。事業部と協議の場を継続的に持ち、「事業部の将来のために研究所は何ができるのか?」という構想を一緒に作りこむのだ。大事なことは、「事業部と研究所が一体となって未来を考える」という場の設定だ。参加者のマインドセットを切り替えさせ、自部門の立場を超えて、全社視点でみんなが発言できるよう、ファシリテートする。

このような事務局力で、事業部側から「研究所には将来に備えた技術の検討をどんどん進めていってほしい。そこに私たちも投資を惜しまない。そこから得られた洞察をぜひ、短期的にも事業にフィードバックしてほしい。一緒に未来を創ろう」という言葉を引き出せるはずだ。研究者の持つ強みを柔軟に生かして、会社の未来創造のキャスティングボートを握ってほしい

2009年3月10日 (火)

デザイン部門は最も創造的なのか

今日、生粋のデザイナーの人と「組織について」対話する機会があった。彼は、デザイン会社に所属していて、「このままでは自分の創造性はだめになる」という危機感のもと、後先考えずに独立を選んだそうだ。企業に属していたときは、どん欲に「新しいものを提案しよう」という気持ちが、今ほどはわかなかったと言う。

デザイン部門の仕事は、もちろんアーティストのそれとは異なる。こんなつまらないモノのデザインはできない、と投げ出すこともできない。目の前には「お題」がつねに与えられ、社内の様々なチェックを通るデザインが要求される。ともすると、「社内チェックを通りやすいデザイン」を作るのに慣れていってしまう。これは、経営企画部という、もっとも経営マインドが強いはずの部門が、「役員会に通りやすい資料を作るエキスパート」になってしまうのと似ている。

ここに、「創造的業務の落とし穴」の本質が見えてくる。つまり、「創造的業務は誰かが主観的に評価する」という、当たり前の構図だ。この「誰か」が、いつも同じであると、創造性はルーチン化する危険性がある。フリーのデザイナーも、創造的であり続けるためには、お得意様を作ってはならない、ということになる。つねに、新たな挑戦を探し続けなければならない。

哲学者の故 池田晶子さんが「14歳からの哲学」で、たしかこんなことを書いていた。『私は自分のことをプロだ、と言う人を信用しない。その根拠を聞くと、たいていは自分はそれで飯を食っているのだ、となるからだ。それは、誰かにお金をもらって仕事をしていることなのだから、本質を究めることをしていないに違いない』。正確ではないが、こんな内容であった。本当に創造的であるということは、自分自身を究め続け、成長させ続ける、新たな価値観に自分をさらし、挑戦し続ける。それが、本当のプロだ。そういうことを池田さんも言っていたのだろう。

では、どうすれば「デザイン部門」が創造的であり続けられるのだろうか?

佐藤可士和さんは、自身の最大の能力は、コミュニケーション能力であると言っている。アイデアは、すべてクライアントの中から引き出すので、枯渇することがない、と。この言葉に、大きなヒントがある。つまり、創造的であり続けるためには、評価者のためにデザインをするのではなく、ユーザのためにデザインをする、という当たり前のことを真摯に続ければよいということだ。企業のデザイン部門のデザイナーは、コンペで食っているわけではないのだから、評価者に好かれないデザインを作っても、明日の飯には困るまい。徹底的にユーザとコミュニケーションし、ユーザのニーズの本質を解明して、それをシンプルに実現するデザインを作る。それは、きわめて創造的な仕事になる。

企業デザイナーのため息が聞こえてきそうだ。分かっているけど、そんな時間を与えられていないんだよ、と。はっきり言おう。他責にして、あとで一番損をするのは、デザイナーとしての成長が止まった、その人自身である。それがいやだったら、とことんやるしかないではないか。時間がないならやらないような仕事は、最初からやめてしまった方がよい。自戒を込めて。

とは言っても、ここで終わってしまっては、苦言を呈するだけになってしまう。最後に、デザイナーの事務局力について考えてみたい。優秀なデザイナーは、最高のファシリテーターであることが多い。それは、アーティストとは違って、デザイナーはあらゆるステークホルダー(経営者、プロジェクトリーダー、広報宣伝、ユーザ、世論など)のあらゆるわがままをじっくり聞いた上で、一つの明確な具体物を作り出さなければならないからだ。あいまいな多くの人の意見から、具体的なイメージをさらす必要がある。それは才能ではなく、スキルだ。

デザイナーは、あらゆるステークホルダーの言う素人的アイデアに対して、真剣に耳を傾けなければならない。ケアとアガペーがなければ、優秀なデザイナーにはなれないということだ。ステークホルダー同士が衝突して、矛盾が生じたときは、すっくと立ち上がって、鍋奉行よろしくホワイトボードにスケッチを始めなければならない。たいていの衝突は、抽象論のズレから始まる。デザイナーが、最高の事務局力を発揮する瞬間である。そしてもちろん、事務局力の七つ目の道具である「あとづけバイオグラフィー」は、デザイナーの十八番、「あとづけグラフィック」だ。そのデッサンを見て、「そう、そう、こういうことを言ってたんだよ」と、ステークホルダーが口を揃えたときに、「そうですよね」と言う寛大さが必要だ。社内デザイナーの皆さん、事務局力を発揮し、創造的なデザイナーであり続けてください。

2009年3月 8日 (日)

営業部門の仕事は数十年来変わっていない

営業の仕事は、モノを売ることではない。顧客の問題を解決する、顧客の仕事や生活を豊かにするなど、「顧客の価値」を提供するのが営業の仕事だ。それは、誰でも知っていることだろう。だが営業部門の「仕事のやり方」は、「顧客の価値」とは無関係になってしまっていることが多い

営業部門の最大の問題は、営業同士が「顧客の課題」を共有し合っていないことである。自分の顧客のところに足繁く通い、情報を集め、仮説を立てる。社内のソリューション事例をイントラネットでかき集め、提案仮説をまとめる。だが、この一連の行動に圧倒的に欠けているものがある。他の営業が担当している顧客がどんな問題を抱えていて、それに対してどんな提案をしているか、何がうまくいっているのかといった、顧客の物語を探しに行っていないことだ。営業部門内で共有すべきは、自社のソリューション事例ではなく、顧客の抱えている課題だ。顧客の課題をカテゴリー分けすることではじめて、提案型のソリューションやマーケティングが可能になる。

ではなぜ、営業部門では「顧客の課題の共有」が行われず、きちんとした顧客課題に応じた「提案型ソリューションやマーケティング」がなされていないのであろうか。それは、営業部門の中心的施策が「営業成果による競争原理」にあるからだ。営業成果で競争をさせようとした場合、その平等性の担保が重要になり、その結果、組織的なマーケティングは犠牲になる。努力もなしにモノが売れてしまったら、営業成果での競争が不平等になるからだ。

このような営業部門の体質を変えていくためにやるべきことは、マネジャーであっても、一担当者であっても同じだ。「顧客の課題を共有する場」をつくることである。「自分の顧客が何に困っているか」を徹底的に共有する、そのための物語を語り合う場をつくるのだ。最初は面倒くさいと言う人もいるだろう。直接的に自分の顧客への提案に役立たないと思うからだ。ケアメールの力で、皆をその気にさせなければならない。特に、優秀な営業担当者は念を入れて場に呼び込もう。

夕方みんなが営業先から帰ってきたら、会議室を占領して、皆で集まろう。そして参加者一人ひとりに、「今、どんな顧客を担当しているのか。どんなことに顧客は困っているのか」ということだけを物語として語ってもらおう。大事なことは、「営業担当者の仮説」というアイデアではなく、「顧客の課題」というファクトを語らせることだ。そのためにアガペーモードで話を引き出そう。語られた内容は、次々にホワイトボードに書いていこう。付箋の使い方も、「他の営業担当者の顧客」についての気づきを書いてもらうようにするといい。

こうして「顧客の課題」を共有したら、自部門が力を入れるべき顧客の課題を皆で考えよう。それが決まったら、共通のソリューションを描く。一番得意な人間がやればいい。その課題にアプローチするなら、どんな提案書がよいか、またマーケティングイベントを仕掛けるのか、これらのことも一番得意な人間がやればいい。それぞれの参加者が個性を出して、競争するのではなく、協力し合って、顧客の課題を分析し、提案型ソリューションやマーケティングの土台を築くのだ。こういった活動をリードすることこそ、営業部門の事務局力に他ならない。

企画部のジレンマ

企業の中に、何々企画、という名前の部署はどのくらいあるのだろうか?

経営企画部、事業企画部、技術企画部、営業企画部、SCM企画部、IT企画部、商品企画部、総合企画部。きっともっとたくさんあるだろう。事業部に分かれている会社では、各事業部が何々事業企画部からはじまって、4つも5つも企画部を持っているかもしれない。企画部門の仕事とは、どんなものなのだろうか。

以前、花王の部長さんと話しているときに、「花王には、企画部という部門は一つもないんですよ。だって、私たちのモットーは、『言うやつがやるやつ』ですから。考えるだけの部門はあり得ません。新しい企画は役員が言い出して、その人が率先垂範して実行していきます」、とおっしゃっていた。

では、企画部門は本当に不要なのだろうか?そこには、もちろん答えはない。ケースバイケース。部門が必要かどうかは、名前で決まるものではないからだ。当たり前の答えで申し訳ない。
ただ言えることは、企画部は大きな組織の、情報のハブになる。トップの方針をとりまとめて現場に伝え、また現場の情報を吸い上げて状況の変化を分析することができる。有効に機能すれば、きわめて重要な部門になることは間違いない。

企画部門に共通する問題点のヒントは、花王の部長さんの台詞にある。それは、考える人と実行する人の分離である。

企画部の陥りやすいトラップは、次の二点の思いこみに集約されるだろう。
・自分たちのアウトプットは、正しい企画や計画の策定である。
・自らが作った企画や計画を組織全体に実行させることが、自分たちの務めだ。

企画や計画は、実行されてはじめて意味がある。きっとこれに対しては、「実行もしっかりとフォローしている」という反論が出てくるだろう。それは分かっている。それが二番目の罠につながるわけだが、最悪なことに、自分たちの出した方針通りに現場が動かないことがしばしばなのだが、それを現場の変化対応のなさだと決めつけてしまう

では、企画のあるべき姿とはどんなものだろうか? それは、花王の言うように「言うやつはやるやつ」に則り、それを支援することだ。それは「言い出しっぺが損をする」ではなく、「やるやつに考える機会を提供する」ということだ。企画部は、実行する現場の社員に対して、最適な情報、専門家の助言、思考の手順、そしてオープンマインドで対話をする場を提供し、「自ら参画したプランを実行する」という機会を提供することができるはずだ。

このような発想の転換があったとき、企画部に必要なスキルは、現場社員の事務局として、ケアやアガペといった七つ道具を活用することである。役員ばかりを見て仕事をしている企画部に、明日はない。

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